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組織の要素、親の要素

  • 戸田京子
  • 2020年4月5日
  • 読了時間: 3分

SNSなどで二世さんのつぶやきというか、叫びというか、雄たけびというか、そんなものを見聞きしていると、本当にしんどそうだなぁ、辛そうだなぁという気持ちにさせられます。 ただ、二世さんといっても当然、同じではなく、共通するものもあれば、違うなぁというものもあります。二世さんの中には、宗教二世さんではないが児童虐待を受けてきたとか、いわゆる「機能不全家族」とかに近い訴えをしている人もいます。 体罰を教義として必要とした組織もあれば、それが途中で変更され、一定の世代以降は同じ組織でも体罰は受けずに済んだというケースもあります。結婚相手が宗教の中で決められる組織も、有無を言わさず、言われた相手をあてがわれた時代もあれば、ある程度、自分の親や自分の意思で選べるようになったケースもあります。そんなふうに、ひとつの組織の中でもやり方が変わっていく場合があります。また、宗教あるあるですが、組織が分派して、元は同じだったのに、それぞれのやり方に細かく分かれていくこともあります。広域に渡る組織だと、ローカルルールがあったり、組織によって運営方法が違ったりということもあります。そんな風に、組織の事情によって、個人の経験が異なってくる側面があります。 他方、親の子供に対する振舞いが、果たして組織の意図するものになっているかは、教義とはまた別の側面でもあります。強力に組織に従わせるように親自身が要求されていたとしても、それをどう実行するかは、ある程度、親自身のパーソナリティやメンタルヘルスなどにも影響されるでしょう。他人の前と家の中とでは態度が違うなんてことは、普通に考えても、どの家庭でも多かれ少なかれあるものです。家の中、密室の環境では鬼の形相で怒ってくるが、他の信者さんの前ならトーンダウンするとかは、きっとあるはずです。つまり、親が子供に接するときに、ある程度のコントロールが効きやすいか、怒りに任せて子供をどやしつけるのかは、元々は教義とは関係のない部分なわけです。 親子関係という、どうやったって子供の側が力では抗えない関係では、子供は親に振り回されやすいものです。それが、教義に適った規則性のある対応なのか、親の気分次第で怒鳴られたり、泣かれたり、理不尽なことをされた後に謝られるかとかで、子供の情緒への影響は異なってくると思います。特に後者は規則性が掴めないから、子供は親が今、どんな気分でどんなことをしかけてくるのかがわからず、常に親を伺い、緊張する生活になります。つまり、後者は通常の虐待と近いのです。 理不尽な教義+親の情緒不安定な養育が重なると、子供の負担はとても大きく、心理的、精神的な影響は大きくなっていく可能性があります。こんな観点から、うちの親はどうだったかを見ていく必要があるのだろうと感じています。


 
 
 

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