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  • 戸田京子

性は、他人が侵してはならない「個人の尊厳」です

宗教二世さんの所属させられた宗教では、とても性をタブー視していることがあります。むしろ、タブー視しない宗教の方が少数派かもしれません。もちろん、一般的にも宗教において性を慎重に取り扱う傾向はあると思いますが、宗教二世さんを生み出すような非常に拘束の強い宗教は、そのレベルが違います。

私が驚くのは、第二次性徴を迎えた年頃の青少年に、宗教側の大人が、性について告白を求めることです。恋愛感情を抱いていないか、性的な衝動をどう取り扱っているのかなどについて告白を求め、宗教側の規則を超えていたら罰を与える、反省を促す、などしてしまうのです。

第二次性徴は人間にとって健全な発達です。子供から大人へ、親から見守られる段階から、他者との密接な関係へと人間関係を発展させる、心身がセットになった、大切で尊厳に満ちた変化です。それは自分と他者とのバウンダリー、つまり境界線をより明確にさせるものでもあります。育ててもらった親の庇護から少しずつ離れ、他者との豊かな関係に結び付き、独り立ちするための離陸体制を取り始めるのです。

宗教二世さんを生み出すような非常に拘束の強い宗教は、そもそも親を巻き込む段階で個人を認めることができません。個人を認めるとは、その人の決定権、選択権を個人に認めるということです。どんな人生を歩むか、どんな人間関係をもつか、どんなライフスタイルを選ぶか、どのように収入を得、それをどのように使うか、何を好み、何を嫌うか―そういったことにいちいち口出しするのは、健全で健康的な宗教の在り方ではありません。宗教二世さんの場合、親の世代で既に、このような搾取がなされている可能性が高いのです。

たとえば、あなたの親御さんは若い時、性の悩みでその宗教に惹かれたことがあったかもしれません。若い時に性衝動が高いのは、人間として自然なことです。それを上手く扱えるようになるには、それなりの困難があるかもしれません。ロマンティックな関係を扱うのは、さらに大変です。他人は自分が思うようにはならないものだからです。こういった内的な側面(個人の性衝動)、外的な側面(求める相手)を上手く取り扱えないと感じたときに、その宗教は親御さんに忍び寄ってきたかもしれません。しかし、それが人の弱みに付け込むような形であったとすれば、親御さんの世代で既に、十分に搾取されていると言えます。でも、搾取に気付いていない人は、次には同じ搾取を別の対象にするのです。それが子供世代、二世世代に向けられた眼差しなのです。

今、あなたがこのような問題で苦しんでいるのだとしたら、それは、あなたが健全に発達している証拠です。このような環境に産み落とされたのは、あなたに選びようのない、残念なことかもしれませんが、ここからあなたに気付きが始まり、自分の人生を獲得していくことになるのです。そして、次世代に繰り返さぬようにできるのです。

また、まさに今、宗教側の大人に性の告白を迫られているあなた。どうか、それはまともな大人の言動ではないことに気付いてください。子供の頃から宗教に従順を求められ、それに従うことに疑問を感じなかったかもしれません。しかし、人は成長し、自分の感じ方、考え方をもつことで独り立ちしていきます。大人になるとは、秘密をもつことでもあります。性的な事柄は、人間にとって大切に秘密にしておく権利のあるものです。個人の尊厳とは、そういうものです。


宗教二世の皆さんには、世代をまたいで続く搾取から逃れ、あなた自身の人生を歩んでほしいと願います。


※なお、恋愛感情が希薄だったり、他人へ興味をもちにくい体質の人もいます。それが生まれつきのものである場合は、それ自体がその人にとっての尊厳です。また、恋愛対象は人によって様々です。



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