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サポートを得るコツ、選ぶコツ

自分から信じた一世信者さん、親が宗教をもっていた宗教二世さんのいずれにせよ、自分で苦しさを感じたときに、何等かの助けを得たいと思うことがあると思います。そんなとき、どんなサポートを利用し、どう使ったら効果的なのでしょうか?

まず、スピリチュアルアビューズ界隈にいる方が使えそうなサポート資源を挙げてみます。宗教者、カウンセラー、医者、電話・SNS/メール相談、同じ境遇の人、家族、友達、先生、知人、同僚…。冒頭に専門家を、後ろに行くほど身近な人を並べています。

身近な人は相談しやすい側面がありながら、場合によっては近いから相談しにくいということもあると思います。宗教二世さんなどは、まず親に相談できないから困っているわけですものね。また、スピリチュアルアビューズを受けている人は、自分の置かれた立場を隠さなくてはならない、恥ずかしいものであると感じやすいので、その場合も近い人にほど言いたくないことがあると思います。

その次に身近なのが電話・SNS/メール相談と言えそうですが、どれぐらいの人がこのサポート資源に気付いているでしょうか?私はスピリチュアルアビューズに限らず、一般的なご相談を受ける立場の人間なので、世の中にどんなサポート資源があるかは、ある程度把握しています。でも、困っている状況にある人ほど、人に助けを求めることが苦手だったりするのです。その理由は簡単には説明できませんが、深刻な状況にいる人ほど、「こんなことで悩んでいるのは自分だけだ」と思い込んでいたり、そういう自分を人に明かすことに、ものすごく心理的な抵抗感が高かったりするとは言えます。だから、いじめ問題やハラスメント問題などもそうなのですが、『はい、相談窓口を設けました』だけでは政策、世策としては不十分で、いかに当事者の心理的抵抗を下げたり、相談することを意識できるよう促進したりすることが要になるのです。

それを前提として申し上げますが、電話・SNS/メール相談は無料で匿名利用できることが多いです。これも相談のハードルを下げるための工夫ではあるのですが、これらはあくまでも応急手当的な存在で、問題解決そのものには結びつかないことを、まともな主宰者ならわかっています。たとえば、「今、死にたい」と思う人に止まってもらうとか、「ずっと我慢してきたけど、このパートナーには、この親には耐えられない!」という最初の叫びを挙げる場であったりします。その最初の一歩が重要なので、これらの方法は今も残っているのですが、最初の一歩の後には次への発展が必要というところが、助けを求める当事者にも社会全体にも理解されにくいのが難しいところです。応急手当でしかないのですから、それだけで解決するわけがないのです。

いじめの相談だったら「学校の先生には相談できそうかな?」などと問い返しますし、家庭内暴力だったら、身近な専門機関(警察、男女共同参画センター、児童相談所、シェルター、役所など)に相談してみませんか?などと促すのですが、実際には、そう簡単に行きません。何度か背中を押してあげれば行動に移せる人もいるのですが、何度伝えても行動が伴わない人もいるのです。後者に関しては、多くの場合、自分や他人に対する信頼感とか心身の健康状態などが損なわれていて、動けないままだったりします。こういう人がもっとも弱い立場であるのは事実なのですが、助けたいと思っても助けられないので、助けを求める側も支援を行う側も相互に不満を抱きやすいのです。ネットのような匿名の世界で支援者を非難、こき下ろしている人の中には、この層の方がいるはずです。上手く対応できない支援者もいるでしょうが、動けない側の思いを反映している場合もあるので、やはりネットの匿名の非難は真に受けない方がよいと思います。

『こんなことは恥ずかしいから、わかってもらえるわけがないから、知っている人には相談できない』人が頼るのは、専門家よりも匿名性の確保できるネットの世界です。先の例には『同じ境遇の人』を挙げましたが、こういう人を見つけること自体、大変です。変な話ですが、「こんなことで悩んでいるのは自分だけ」と思っている人同志が出会うのは難しいのです。だって、お互い自分のことを隠したいのですから。それを打ち破るのがネットの世界です。つぶやくだけのSNSには、スピリチュアルアビューズの当事者がたくさんいます。この様子を見て私は、つぶやくだけのスタイルが、自助グループの「言いっぱなし、聞きっぱなし」に相当するのだと理解しました。自助グループが「言いっぱなし、聞きっぱなし」のルールを敷くのは、当事者が言ったことを批評されたり、ましてや非難されたりしたら、傷つくだけで二度と自分のことを明かしたくないと思ってしまうからです。だから、お互いに話を聞くに徹しようというのがルールとなったのです。SNSは炎上もしやすいのですが、それは他人の言葉に絡んでいくからであって、ほっておいてくれる分には安全です。意思表示をするにしても、「いいね」だけなら励ましにもなります。こうして、SNSで自分のことを隠しておきたい人同志が出会って、『同じ境遇の人』の関係になっていきます。

これがさらにオフラインに発展すると、実際に出会う自助グループ的な関係になりますし、オンラインで顔を合わせることも増えてきています。自助グループや被害者、被災者の集まりなどもそうなのですが、互いに支え合うよい面をたくさん持っています。しかし他方で、この類の集団でもめごとや葛藤が起こるのも確かなのです。出会った当初は「ハネムーン期」といって、互いを理想化して見ていますが、次第に実は個人個人の違いがあって、自分と同じような境遇でもないことに気付き始めます。窮している人間であればあるほど、恵まれた状況にある人間に対する思いは複雑になり、葛藤が生じやすくなるのです。また、生い立ちが複雑であったり、執拗な虐待を受け続けてきた人は自分も他人も信用しにくかったり、感情のコントロールが上手く行きにくいことがあり、元々人間関係に苦労することが少なくありません。それは自助関係にあっても同様です。スピリチュアルアビューズの影響を受けた人は、その宗教集団の人間観を残したまま対人関係をもつリスクがあります。虐待的な集団は人間に極端な上下関係を設けるので、平等で対等な人間関係を経験できません。それに慣れてしまうと、普通の社会でも上か下かを意識する振舞いをして関係がこじれます。相手の言うなりになって我慢の限界に達する、マウントして周りの反感を買うなどの極端な態度になりやすいのです。また、搾取的な関係では滅私奉公をよしとされるので、対等な契約関係に慣れず、対価を支払うべき場面で相手に寛容を強要し、限りない奉仕を求めるなどの歪んだ関係に陥りやすいようです。

現在、当事者で自助関係でのガイドラインを作成する動きがあるのは、とても心強いことです。せっかく回復のために集まるのであれば、ぜひ自助グループのよい面にあずかっていただければと思います。

さて、ようやくここにきて専門家の話になります。私は心理職なので、こちらの側に立ちますが、元々はスピリチュアルアビューズの経験も自助関係の経験もあります。専門職といっても様々ですが、心理職の仕事でもっとも代表的なのは個人セラピーで、カウンセリングとか心理療法と呼ばれたりするものです。専門職なので対価を支払っていただき、提供するのですが、これらは契約に基づいて行われます。よく「いつでも困ったときに助けて欲しい」という要望が聞かれますが、これは先に述べたように応急処置の一場面の話で、契約に基づくものは「いつでも困ったときに」行うことを第一としません。中には、そのような枠組み込みの契約治療もありますが、それ相応の対価は発生します。専門職の営みは契約と対価に基づくものです。それは、社会常識であることに加え、回復や治療のプロセスに有効であるからでもあります。「いつでも困ったとき」が生じにくくなるために何かできるかを共に考え、構築していくために枠組みが必要なのです。無秩序に振り回される状態から、自分の手でなんとかいなせるレベルへと変えていくための枠組みです。人に何とかしてもらうのではなく、自分で何とかできるようになれば、その人は自由を得られます。だから、契約して自分に対しても宣言をしてもらうわけです。それは最初から大層なことを求めるわけではなく、もっともハードルの低いところからやってみましょう、というレベルで始めていきます。人によっては課題が大きく、長期化することもあります。幼少期からの問題を扱おうとすると、セラピーは長く、掘り下げ方も深くなる傾向があります。そこまでやる心づもりやモチベーション、経済的裏付けがあるか、そこには触れず、とりあえず現実に適応する術を優先するかによって、セラピーのやり方、選び方も異なって来ます。ただ、いずれにしても契約を守ることで自分の力をつけていくことには変わりがありません。

もう一つ、別の角度から専門職を語りましょう。思いのほか、皆さんが頼ることが少ないように見える宗教者です。かつて、スピリチュアルアビューズが「カルト問題」と認識されていた時代には、宗教者は相談先として一般的でした。話せば長くなるので割愛しますが、既成宗教から派生した特定教団が問題視され、困ったのは入信した人の家族でした。つまり、家族が一世信者の入信に反対し、困った家族が宗教者に相談に行ったのです。

本当は、既成宗教から派生した教団の一世さん、二世さん自身が教義、教理を見直したり、整理したりするために宗教者に訊きに行ってもよさそうなものだと思うのですが、そういう話を聞くことはあまりありません。宗教者は教理、教学の専門家ですから、多分、来てくれれば歓迎してくださると思います。

かつて相談に行っていたご家族にしても、たまたま人生相談で宗教者に頼み、「死にたい」とこぼすなどする人もそうなのですが、宗教者は頼られれば受け入れてくれることは多いです。ただ、それは困っている人をほおっておけないという好意からであって、急場がしのげたり、ある程度、落ち着いたりしたら、基本的なマナーは大切です。それはまず、人としての礼儀の問題です。また、宗教者とて普通の人間です。しょっちゅう真夜中に叩き起こして付き合わせたり、経済的に困っているからとお金を要求したりするのはマナーに反します。もっと手前のところで問題解決ができるよう、しかるべき専門機関に相談すべきです。そして、宗教者は信者や所属組織に支えられている存在であるということを忘れないでください。宗教者が宗教者として生きていけるのは、それらに支えられているからです。宗教者が対価を求めなかったとしても、それを支える人や機関は宗教者を経済的にも支えています。頼れば無限大に頼ることができると思うのは、目の前の宗教者のみならず、その背景にいる人々に対しても失礼であることを忘れないでください。日本社会は宗教に対する知識や理解が不足しているので、このあたりはきちんと伝えた方がよいと思い、書きました。

そのうえで、ぜひ、信頼できそうな宗教者に尋ねてみてください。マナーを守った態度であれば、快く受け入れてくださるでしょう。

これらを踏まえ、今のあなたにとって役に立ちそうなサポートを吟味し、時には上手く組み合わせて、よりよい人生に繋げて行ってください。

サポートを得るコツ、選ぶコツ: テキスト
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